霧葵のブログ

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無印ポケモン最終回と三作目劇場版に想いを馳せる

まずは引用。

https://www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/30315.html

https://www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/30237.html

これは、首藤剛志のコラムを簡潔にまとめたwiki

今回は無印ポケモンを思い返したいと思う。アニメ版ポケモンといっても、無印のオレンジ諸島編の手前までと今のポケモンでは別物と捉えた方がいい。つまり、ポケモンが「定番の長寿アニメ」になる前の「ポケモン」の話がしたい。

 

そこで、特に参考に出来るのは「The Animation」と首藤脚本回だろう。最近、また無印ポケモンを視聴しているのだが、やはり「共存」だとか「自己存在」だとかはテーマの一つに置かれてるのは確かなんだなと感じる。「自己存在」は13話のマサキの台詞で、「共存」は31話のディグダで。

で、視聴してて、首藤剛志ポケモンの世界では、「こちら側の現実の世界」が存在してるんだなって思った。31話4分あたりのムサシの「かぁー、世界が違う!」ってセリフを聞いた瞬間、「あっ、アニメポケモンの世界を考察するなら、現実の世界が存在していることを前提として考えた方がいいんだな」と思った。つまり、「サトシやカスミやタケシの存在しているアニメの世界」と、「我々が存在する現実の世界」という区別をしながら、首藤剛志は脚本を書いていたんだなと分かった。いやぁ、またアニポケに対しての見識が深まってしまった。(たぶんこれが「自分の生きている世界は何なのか」に繋がるんだろうな)

そう考えると、無印最終話案の、現実世界の老人サトシが昔を懐かしみながら、美化された思い出としてのポケモンロケット団、つまり他者との共存や自分とは何かを探したサトシ自身の人生を振り返るっていうエンドもまあアリなのかなぁって思う。

 

あとは、没になった劇場版の三作目か。ティラノサウルスの動きがどこで止まったのか見当もつかないんだよなぁ。分かる人がいたら教えて下さい。

 

やっぱ無印ポケモンの世界観は異質だよなぁ。ジムも別に8ヶ所じゃないしな。9話で出てきた、ポケモンスクールの歳とってる学生の存在とか。

でも、そんなカントー地方モンスターボールを腰につけて、歩いて旅してみたいよなぁと感じるわ。

 

(2023年 追記

アマプラで無印ポケモンを見るの、マジで細々と続けています。しかし、新無印が終わり、サトシくんの冒険が終わった今、無印のエンディングってどうなってたのかな?とか考える意味は無くなったのかなと思います。).