どうも、労働から解放されている者です。
常々思っているんだけど、生きるのにそんなに金要らなくないか?物質的に豊かな現代社会において、金を求めて頑張るのってコスパが悪い生き方な気がする。(寝そべり族の鑑)
まあ、生きるのにコスパがどうのこうの言うのはナンセンスって言われるだろうけど、そういうのじゃなくて、金を求めて頑張っても、その先に何も無いんじゃないかなと。
あくまでも金は幸せを得るための手段であって、金を得たから幸せになれる訳ではない。(色んなところで既に昔から言われているが)
幸せになりたいなら、別に金要らないしな。俺の各趣味もどう考えても投資した金額よりかけた時間の方が大事な娯楽だし。
俺は周りに倣って金やら待遇やらを求めて就活として医学部を目指してみた訳だが、いや正直人生何にも変わってないぞ。マジで何にも変わってない。インターネットで時間を潰して酒を飲みながら部屋の中で時間を潰す毎日なのは、受かる前も後も何にも変わっていない。俺は、医学部に入ったら人生がパッと開けて、全てが好転するかのように考えていたが全くそんなことはなかった。(まあ正直言ってそんな盲信していた訳ではないが)
まさか自分が1年かけて(なんなら小中高全てかけて)入った人生逆転の一手がここまで無意味なものだったとはな。
マジで何も改善してないじゃん。
我、童貞ぞ?
医学部入って人生逆転しようとしてる人へ。
それ、意味ないよ(笑)
そもそも現代社会はたいして金使わなくても生きていけるんだよなぁ。貧困貧困言ってる奴の多数が、自分の大き過ぎる欲望に溺れているか、抗えない外的要因によるもの(ゴミみたいな家族・家庭環境とか。これは可哀想)の2択だと思うんだよな。後者はともかく、前者は気の持ちようだと思うんだよ。
そもそも自分の欲しいものが買えないのが貧困なら、全国民が貧困だからな。俺が欲しいものは金じゃ買えないし、なら俺は一生貧困なのか?(笑)
前に、自己マネジメント能力と情報リテラシー(と五体満足)があれば、金なんてそんな無くても生きていけるって自分の中で結論付けたけどやっぱり合ってると思う。現状そういう能力が高い程高収入になりやすい傾向があるとは思うが(皮肉)
幸運にもまともな家庭環境(ほんまか?)に生まれ、物欲が比較的薄い俺は、そもそも金銭欲から解放されているのでは?そして、その金を得るための労働からも解放されているのではないだろうか。労働の果てに幸せが見えないしな。皮肉にも俺はまだ正規労働をしたことがないエアプだが。
なんか、老後〇千万必要だのインターネットやリアルの情報メディアは急かしてくるが、本当にそうか?資本主義を母体とした「上」に踊らされてないか?(無職拗らせて無事陰謀論に帰着した男)
なんというか、俺は将来の金を心配し過ぎだったんだよな。飯食ってる時とかも効率良い頼み方になるように考えまくるし。普通の人そんなに考えてないと思うよ(笑)
将来について不安!不安!とか言って、「今」を楽しめないのは勿体無いんじゃないかなって思えてきた。
これからは俺は「食う」と「飲む」に金を使って生きていこうと思う。実は昔の趣味やってもインターネットやっても(それはそう)心から楽しめないんだよな。
ライブとか風俗みたいな何も残らず消えてしまう(行く価値あるライブは別だが)ものに金を使うよりも、普段買う飯に金を使った方が幸せになる気がする。
なので、これから暫く、ライブや風俗といったオタク御用達の一時の娯楽には金を使わず、普段の食生活や日用品に金をかける生活を実験的にしてみたいと思う。それで、俺の生活が金銭的に成り立つのか、満足な生活は送れるのかを見てみたい。まずは、回転寿司で150円の皿を取ったり、牛丼にチーズをトッピングするところから始めてみよう。
8/30
今日は自分が医者になった時本当に幸せな日常生活が送れるのかの思考実験として、自分が医者(金持ち)だと仮定してスーパーで買い物をしてきた。
しかし、いくら自分は金持ちだと言い聞かせても同じ惣菜なら値引きしてる方を取ってしまうし、高い(300円以上)惣菜は買う気にならなかった。無理して買おうと思ったが結局、同じ値段でもっと量が多く主食になり得るものを買ってしまった。(牛タン→ローストビーフ寿司へ)
なんつーか、俺は「金を使わないこと」が「好き」なのかもしれないなって思った。
スーパーの半額惣菜を買ってる時が俺の人生のピーク。
財布に金が入っている(想定)でもそんなに金を使わないのでは?それとも毎日メロンとか買っちゃうのかな?
将来の「夢」は1日食費に3000円を使えるようになることなんだけど、これって医者になれば叶う?
実際、食費だけで月9万は高いと感じるが。
8/31
今日、アイカツフレンズ、スターズのライブが今年のクリスマスに行われる事が発表された。
うおおおお、やっぱり「医学部生」になればクリスマスに予定が埋まるって入学前に聞いた話は「本当」だったんすねぇ!w
なんつーか、もうフレンズから5年経ったのかという気持ちと、逆にフレンズ放送から今までの時間使ってもまだ医者にはなれないのかという6年の長さを実感した。
何故か昼夜の2公演あるため(本来のターゲット層の為)、ライブ数は4回あり、全部合わせてチケ代で4万ほど。俺は田舎の教習所にいるため交通費もばかにならず、どうすっかなーとなった。
そんな時にこのブログ記事を思い出した。
「そうか、俺は将来的に金なんて幾らでも回収出来るんだ。」
そう思った俺はいつも通りe+で4公演全て申し込み。当たって欲しいですね。
【悲報】弱者男性さん、またも「女性性」に搾取されてしまう。
しゃーねぇよなぁ、ワイくんは童貞で不細工でリアルの女と接点の無い「負け組」なんだから。声優ライブくらい行かせてくれよ笑
いやー、クリスマス4万使って更にホテル代もかかるのかよw
きっついわw
今これ
母さんに、クリスマスは東京でホテルに泊まって次の日にライブに行こうかなって言ったら、「クリスマスにアニメのイベントの為に1人でホテルにチェックインするのは惨めだから止めなさい。一旦家に帰っておいで。」って言われて泣いちゃった。
あっ、そっかぁ‥‥
普通クリスマスのホテルにはカップル2人で泊まるもんな。そんな中、女児アニメの5周年イベントから帰宅し、翌日の女児アニメのライブに備える24歳童貞不細工男性が1人でチェックインしに来たら流石に場が「震え」ちまうかぁ‥‥ってなった。
もしかして俺の人生って、「異常」?
ふざけるなよ!ワイは「高学歴」やぞ!
低学歴共が!馬鹿にするな!
一応大学受験で人生やり直したと思ったけどまだ足りないんかなぁ。旧帝医に行けば幸せになれる?
【回答】なれません。(完)
話が逸れたけど、ネタ抜きでアイカツのライブは楽しみなんだよなぁ。俺が金を掛ける価値が認められる数少ない娯楽というか。「やっと」か、って感じだ。
なんか知らんけどまたコンテンツに動きがあるっぽいので、無印のイベントに期待って感じだな。
‥‥なぁ、あおい。俺はお前のことが好きだった昔の気持ち、また思い出せるのかな。
9/1
dlsiteでフルプライス相当のエロゲーを購入。ニトロプラスのゲームの割に高くねーか?
まぁ、ワイは「医者」なので有無を言わさず購入。
そのうちこのブログに感想書こうかなって思うけど今のところそんなに面白くないのでどうするか分からん。
(追記)
楽しかったです。
夏休み中盤、そんな感じで飲食物に金に糸目をつけずに生活してみたが、まあ正直言って昔とほとんど変わらなかった。別に医学部入る前だって、行きたいライブは参加してたし、食べたいものは食べてたし、欲しいゲームは買ってたよな。なんか、去年は自分は世界一の負け組だ、底辺だ、でもこっから再受験で成り上がってやるって気持ちで勉強してたけど、「成り上がった」割には何にも変わってないよな。
俺は医学部に入ったら、途端に現実世界に吹き出しが表示されるようになって、マップ移動で動くようになって、聞き逃してもバックログが出てくるようになると思ってたよ。本当に人生変わると思ってた。
でも、そもそも俺は異性関係の交友も要らないし、友人関係の交友も要らない。一般的な楽しみとやらが何にも要らない人間だから、一般的な楽しみを得るための手段(医学部進学)をしても意味が無かったんだろうな。
ただ、医学部受験に「逃避」してただけだったんだろうな。前にも書いたけど、現実からの逃避先が百合漫画から音ゲーに、音ゲーから受験勉強に変わっただけ。なんか、勝手に期待して勝手に裏切られただけだったな。まるでなもり先生の百合姫表紙みたいだぁ(直喩)
なんつーか、俺は医学部に入ったら「幸せ」になれるって漠然と思ってたんだよな。(社会的には医学部に入ったら幸せだって言われてるから、半信半疑だけど、とりあえずそれをうっすら信じてみようって流れだった。というかこうでも思わないと、23歳にもなって大学受験の勉強なんて続けられなかった)てかそもそも「幸せ」ってなんだよ。
でも、冷房の効いた部屋で寝そべりながら、自分にとっての「幸せ」ってなんだ?とか考えられる環境自体が幸せなのかもしれないな。
いや、考える環境だけなら別に努力して働いたりしなくても手に入らね?勉強も労働もコスパ悪くないか?(結論)
追記(本題)
記事内では再受験して後悔〜みたいなスタンスで書いたけど、正直な話、受験してる時から医学部受かっても「幸せ」にはなれないって知っていました。というか、「社会的成功」と「本人が感じる幸不幸」に相関がないことも知っていました。ただ、現代社会で生きる人間の多くが、あまりにも他人軸で生きているというか、社会的に成功すれば幸せなんだ〜!っていうのを盲信しているのが気持ち悪くて、じゃあカウンターとして俺自身が「社会的成功」をしてそれが幸せと関係ないことを証明してやるよって気持ちで受験勉強してました。
本当はそういうのを起業とかもっと実践的な手段で出来ればよかったんですが、生憎俺は受験勉強くらいしか社会的に評価される特技がなかったのでこうなりました。まあ、学歴コンプの解消も出来たし一石二鳥かな。
でも去年の再受験のための受験勉強をしてる期間は間違いなく「幸せ」だったんだよなぁ。充実してた。目指すべき目標もあったし、時間もあったし、熱意もあった。客観的に見たら毎日図書館に篭って遥か昔の受験勉強に取り組むだけの生活だったが、俺は凄く楽しかった。やっぱりリアルの友達と一緒に勉強してたからなのかな。現役、一浪時も友達と一緒に受験勉強してたら何か違ったのかな‥‥?
去年の俺は社会から見たら、Fラン大学に在籍しながら受かるかどうか分からないような難関試験に固執する「不幸」な奴だったのかもしれないが、俺個人から見たら、受験勉強を続けることで人生が一歩ずつ前に進んでいく感覚があったから「幸せ」だった。ずっと工学部にいて、鬱屈を抱え、ただただ停滞していた日々よりも、受かるかどうか分からなくても受験勉強を始めたそれ以降の方が気分は晴れやかだった。別に目標が達成出来るから幸せなんじゃなくて、何かのために毎日頑張るその日々こそが幸せなんだろうな(真理)(アイカツ22話)(カレンダーガール)(なんてことない毎日が、かけがえないの)
とにかく、言いたいのは「幸せ」とは本人が自分自身やその周辺環境からどのような「認知」をするのかに依存します。別にみんなから賞賛(医学部再受験がみんなから賞賛されるものなのかは怪しいが。まあ無職ニートくんからしたら人生逆転なのは間違いないだろう)されることをしても、自身がそれに何の価値も感じていなければ別に「幸せ」にはなりません。その証拠に、俺は社会的に不安定だったはずの去年の方がよっぽど「幸せ」を感じていたからな。対照的に、社会的に安定した(言うほど高齢大学生は社会的に安定しているのか?)今年はこのブログの更新数からしてメンタルは不安定だからな。
まあ、社会的な幸せを盲信する多くの馬鹿な人間に対する自分なりの回答が出来て良かったです。
どんなにインターネットを検索しても医者になれば社会的強者になれるとは書いてあっても幸せになれるとは書いてなかったからな。まあ、そういう記事もあったけど、書いてる人間の程度が低いことが文体から読み取れて全く心に響かなかった。
俺は今後、アニメ・漫画・ゲームを通じて「幸せ」になろうと思ってる。今回の件で、社会的評価と幸不幸に関係がないことは証明出来たと思う。社会では下に見られがちなサブカルチャーだが、俺にとっては自分の命よりも大切なものなんだよな。俺は一生趣味に生きていくよ。(意思表明)
自分軸で生きていきたい。(でも結局俺は社会に対して斜に構える癖が抜けてないだけなのかもしれないな)
この世界の本当の構造。第1、4象限に行けるように人生ゲームを進めたいですね。